伊藤今朝雄さん。平成 30 年度「現代の名工」の選評には
「製品を通じた情報発信にも積極的に努め業界の発展に貢献」とある。

木と、時代に呼吸を合わせて
まだ見ぬ桶を作り出す喜び。

桶が回る。研ぎたての鉋が、その表面を滑る。
木屑から、香ばしい木の香りが立つ。
山から生まれた木に、新しい命が吹き込まれる瞬間。
あっという間に、桶の肌が整えられる。
しかし、これはまだ粗削りで、外側、内側、
箍と底板を嵌めてからの仕上げと、削りを重ねていく。
かえすがえすも、恐ろしいほどの手間と時間が費やされる。
材料である木が長い年月をかけて育っていくのだから、
それを使用し、ものを生み出す側も、
相応の時間を覚悟しなければならない、ということか。
製材時など、特別なときを除いては、機械音のしない静かな工房に、
桶が回る音と鉋の音だけが、粛々と流れる。
「人間が呼吸するように、木も呼吸してるから。
同じことをしているもの同士が、息を合わせてるんだね」

指先だけでなく、腕、足、足指など、全身を使っての作業。
底板を嵌める際などに相当な力をかけるため、作業場の床は補強されている。

「桶数」初代の伊藤数馬さんは、千葉県出身。
東京・深川で江戸流の桶作りを習得した明治生まれの職人は、
戦時中、不足した材料を求めて木曽へ移り住んだ。
お櫃や飯台など、日用品を得意とした数馬さんの
ものづくりの天性は、息子である今朝雄さんにも受け継がれていた。
「中学校のとき、手先の器用さをみる検査があるんだわね。
俺はどうやら飛び抜けて器用だったみたいで、
歯科技工士にならんかと言われて、学校に行く予定まで組んでいた。
でも、やっぱり桶のほうがいいかなと。
お袋は勉強していい会社に入って安定して、と言ってたけど、
兄弟がふたりいると、どうしても逸れる人間がおるもんでね。
まあ、カエルの子はカエルだよ、って」

お櫃や飯台にはサワラ。湯桶にはヒノキ。風呂桶には断然コウヤマキだ、と今朝雄さん。
「削っていてもまるで赤ちゃんの肌に触っとるようだし、香りもいいね」

20代から工房の主力になり、桶作りに励む日々。
ちょうど時代は、日用品が木製からプラスチック製へと変貌していく時期だった。
職人が次々リタイア、あるいは廃業していく中で、
はからずも、今朝雄さんは先人たちから「遺産」を引き継ぐ立場になる。
まずは、道具。廃業した先から、桶作りに使う銑(せん)、鉋などが
次々と「桶数」の工房にもたらされた。
そして、家庭用品に限らない、さまざまな桶の注文が
今朝雄さんのもとに届き始める。
日本酒の蔵元が神事に使う特殊な桶。
養殖業者が真珠を洗うための、モーターつきの桶。
茶道の流派特注の、茶器洗い用の桶。直径2メートルを超える巨大な味噌樽。
もともとは、それぞれの地域で専門の職人が作っていた桶である。
職人の減少と技術の途絶の危機から、今朝雄さんはそれまで見たことも
触れたこともなかった桶を、求めに応じて作ることになった。

祖父、父譲りの江戸の伝統と京都の技を受け継ぐ三代目・匠さん(写真右)。
「いろいろな職人の技術を見て、感性を磨くようにしています」

「時代によって、ニーズというものがあるから、
やっぱり、それに合わせた仕事をしていかないとね。
親父は『基本さえできていれば大丈夫だ』と。
お袋は『応用問題が解ける人間にならんと生きていけん』と言ってたし。
桶作りが自分に向いてるとか向いてないとか、考えたことは、ない。
ただね……お櫃ならお櫃、飯台なら飯台と、
ひとつのものを年がら年中作っているよりも、
いろいろやっているのも楽しいもんだな、とは思うよ。
この間は、桶で馬車を作ってほしいという話が来た。
設計士さんが九州の人で、『なかなか手に入らない焼酎を
3本見つけてきますから、乗りませんか?』と言うもんだから、
『乗った!』と。どうするんだろうね(笑)。
でも、楽しいじゃないかいね? 作ったことがないもので、
他の人が作れんというものを作るのは」

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