株式会社東屋

当たり前にせず、感謝する。
僕らが受け継ぐのは、そういう仕事。

翌日。職人たちは、すっかり熱の冷えた鉄瓶を
磨いて製品にする作業に取りかかっていた。
残った砂を落とし、鉄のバリ(残材)を取り除いて、
表面を滑らかにする。
最初は荒々しかった鉄の表情が、どんどん洗練されていく。
それをなし得るのは、細やかな人の手作業。
磨くときにもまた、細かな火花が散る。
鋳造時の火が、確かにこの鉄塊を生んだのだ。
昨日の鋳造においても、今日の工場の作業においても、
職人それぞれの持ち場ごとの働きがうまく噛み合ってこそ、
無事に製品が製品として完成していく。


型から出した鉄瓶の「バリ取り」作業。
機械にかけ、職人たちが丹念に研磨していく。

「職人たちは、皆でひとつの身体みたいなもの。
手は手の役割を、足は足の役割を、頭は頭の役割を果たす。
手が勝手に足になったりすると、困るんです。
危ないなと思ったときは、大声も出るけど、
その場で終わること。後に残るものじゃない。
それが、うちの工場のいいところじゃないですか?」


湯の見方しかり、工場の持ち場配分しかり、
鋳造の現場で大事なことは、これまでほとんどが、
図面や書面ではない状態で伝えられてきたという。


磨いた鉄瓶を、900 度の陶芸用窯で焼成。
「窯焼き」の作業により、錆止めとなる酸化皮膜ができあがる。

「キューポラにしても、設計図なんかないんですよ。
工場ごとに、それぞれの作り方があって、ちょっとずつ違う。
他の機械も、近くの鉄工所に行って、サッと書いた図で作ってもらう。
それが、産地の強み。鉄瓶の型だって、そうですね。
ただ、それらを、3D スキャナなんかを使って
データ化して残していくのは、これからの時代、
次の世代の仕事なんでしょうけど」


「及富」の一角には、研究室と名付けられた部屋がある。
型を作る職人が、新製品を開発するために設けたスペースは、
菊地さんの次男・慈海(じみい)さんの居場所。
工場で炉の経験を積むのと同時に、次の時代に向けて
製品をさらにブラッシュアップするための
さまざまな試作に取り組んでいる。


近所から「湯を借りに」来た、同業の及川テルさん。
77 歳。夫とともに工房で働き、現在も息子とともに鋳造を続ける現役職人だ。

現在の課題は、鉄瓶の色や艶を決める最終仕上げ
「油焼き」の工程で使用する、新たな油の開発。
深く豊かな黒の発色を目指すと同時に、口に入る水に接する道具として、
さらに安全性の高い素材を作り出そうとしているのだ。


「今は茶渋液と椿油を混合させていますが、
茶の成分が変化すると水や料理に影響が出るので、
その種類をいろいろ試して、手法を確立させたいんです」


注ぎ口との境目や蓋の乗る溝は、手作業で滑らかに。
「緻密な作業は、東北人の気質に合っていると思う」と菊地さん。

三年前、工場に入る以前は、まったく別の職業に従事していた。
が、震災を経て、また、自身、家族を得たこともきっかけになり、
「子どもに誇れる仕事をしたい」と、家業に勤しむことを決めた。


「きついけど、考えるのは面白いです。
開発の仕事は、クライアントの納得がいくまでやるけど、
それはコストにも直結する。もっと手軽にやれて、
かつ、品質がよくなるためには、どうしたらいいんだろうと」


火にかける道具。口に入るものを沸かす道具。
安全性を確保したうえで、より美しく磨き上げる。

重量物を扱う、肉体的負荷の軽減。
3D、AI などを使った、デジタル化、新技術の導入。
ものを作り、作り続けるための課題は、次々と発生する。
それでも、貫きたいのは、クラフトマンとしての誇り。
「選ばれし者がやっている仕事なんだ、と、
僕らはもっと思っていいんじゃないかと思う」と菊地さんは言う。


「イタリアとかだと、職人の地位って、高かったりするでしょう?
その意識が、この産地の人にはあんまりない。
鉄を溶かしてものを作るのが、あまりにも当たり前だから、
そのことに感謝するという感覚がないんでしょう。
普通にやっていると、日常になってしまって、
どこか麻痺していって、結果、失敗が多くなる。
『こんなもんでいいな』と思ってやった仕事は、
こんなもんになってしまうんです。
だから、実はそうじゃないんだと、伝えたいんですよね。
火を扱うことも含めて、すごい仕事なんだよと、皆に」


平成30年1月 撮影・取材

及富

岩手県奥州市水沢区/鋳物製造
嘉永元年(1848 年)創業。水沢鋳物の製
造者には、江戸時代に武家から鋳物業に転
身した及川喜右衛門に連なる及川姓が多く、 社名の「及」もそこに由来する。


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