材料、道具、以上。必要十分なものだけが置かれた机の上は、
まさに手工業の原点を感じさせる光景。

まっすぐに引きく。木目を見る。
箸は、通った目が命。

一対の、まっすぐな木の棒。それを手に取り、ものをつまんで運ぶ。
箸は、その有り様も、その使われ方も、きわめて明快な道具だ。
木材を整え、切り、削り、磨いて仕上げる。
日々、私たちの手指そのものとして働く道具は、
言葉にすると、やはりごくシンプルな工程を経て生み出される。

木下吉也さん。91 歳の現在も、通勤はホンダの「モンキー」で。
筋金入りのオートバイ好きで、旧型をチューンアップしては乗り継いでいる。

山脈を切り開くように流れる木曽川と、その支流が潤す場所。
長野県木曽郡上松町は、日本有数の材木の産地であり、
古くからさまざまな木工の職人たちが暮らしてきた手工業の里である。
そこに現在、一軒だけある箸工場が、木下商店製箸所。
表に掲げられた小さな看板には、「信濃木ばし」と簡素に記されている。

スギの大木。かつては丸太から箸を作ることはなかったが、住宅の工法が変化し
徐々に柱用の木材の需要が減ってからは、丸太が原料になることも。

ヒノキ、スギ、サワラ、マツ、モミ、ヤマザクラ、等々。
板状、丸太状など、さまざまな状態の木材が積み上げられた
工場の入り口をくぐると、絶え間なく響く機械音と、
むせるような木の香に取り巻かれる。
板を切る音。その板をさらに細かくする鋸の音。
工場の手前から奥へ踏み込むほどに、板はどんどん小さく、細くなり、
最後には、私たちがよく知る箸の姿になっている。
割り箸をはじめ、料亭や茶席で使われる箸、神社仏閣の縁起物の箸、菜箸など、
次々と生み出されていく多様な箸。その圧倒的な量を前に、
この国に生き、暮らす人の数、その日常という質量に、あらためて感じ入る。

木の皮を剥くのに使う銑(せん)。このほかにも、木を割る鉈、
削る鉋など、場面ごとに多種多様な刃物が使い分けられ、用いられる。

工場の一角に、小さな作業場があった。
平均台のような細長い台の上に、
いかにも手作りらしい、細長い木製の装置が置かれている。
ここは、手削りの箸を作る場所。
装置の表にV字型の溝があり、そこに細長く切った四角い棒を置いて
鉋(かんな)をかけ、1本1本、箸を形作っていくのだ。

箸を削る作業台。壁際にずらりと並んだ鉋の刃も、
使うごとに吉也さんが自ら研いでいる。

「やってみますか?」
声を発したのは、この工場の主である木下吉也さんだった。
柔和な笑顔につられて作業台に腰を下ろすと、
目の前の装置の溝に、細長い棒が置かれた。
「この上に鉋を置いて、手前に、まっすぐ引くんです」
恐る恐る鉋に触れ、体重をかける。手前に、まっすぐ。 刃が滑る。手応えとともに、しゅるしゅる、と細長い木屑が飛ぶ。
見ると、四角い棒の角が、かすかに削れていた。
いわゆる「面取り」をした格好である。
ふたたび鉋を奥へ置き、手前へ。今度の木屑は、さっきより短い。
体重のかけ方のせいか、途中で切れてしまったのだ。
次も、途中で切れた。まっすぐ引くことは、なかなかに難しい

若い頃は、夜が明ける前から工場に詰めていた。
「ほかに道楽もないですから」と、吉也さんは笑う。

「これはヤマザクラだから、ちょっと硬かったでしょう。
慣れないと、お尻(手前)のほうが浮いちゃうんですね。
そうでない人は、逆に頭(奥)が浮く。
そんなに難しいものではないんですけど、まあ、練習ですよ」
吉也さんが引く。すると、太く長い木屑がしゅるりと上がる。
棒を回しながらリズミカルに引いていくと、ひとつ、ふたつと角が取れて、
あっという間に、八角形の面取りをした1本の箸が出来上がった。
鉋を走らせながら、吉也さんは絶えず削っている木を手に取り、眺めている。
それは、木の「目」を確かめる仕草。
木目がまっすぐに通っていること。それが、いい箸の絶対条件だという。

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